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 《俳句》 細木義文
吊り橋を
 ひと揺れさせる 若葉風
蔵並ぶ
  町はひっそり 夏の午後

     

         日本中国友好協会米子支部
   米子支部ニュース      

2024.06.15 

 鳥取県米子市三本松4-9-9
 電話・FAX 0859-32-4868
 Eメールアドレス nicchu-y@sanmedia.or.jp
 ホームページ http://www2.sanmedia.or.jp/nicchu-y

  感動の5日間
 1300人以上の来館者!
   王希奇『一九四六』米子展終わる

◇ 5月31日から始まった王希奇『一九四六』米子展は、初日から大変な賑わいでした。
オープニングセレモニーは、王希奇、王秋菊ご夫妻を中心に、米子市長、鳥取県知事代理ら
8人によるテープカットがおこなわれました。
     
   写真左から小松電機産業社長、伊木米子市長、王希奇画伯、王秋菊夫人、
  中原西部総合事務所所長(県知事代理)、井口京都府立大学元学長、
  高橋敬幸実行委員会共同代表


     
      縦3mX横20mの
  巨大なキャンバスに描かれているのは

 縦3mX横20mのキャンバスに描かれたのはおよそ500人もの日本人難民。
 敗戦の一年後、引き揚げ船が出る葫蘆島へと向かう人々。ソ連兵の襲撃から必死で逃れ、
赤痢やチフスなど病気の蔓延、ろくな食べ物も無く栄養失調で倒れる家族。
せめてこの子だけはと、子どもを中国人に託した人もいました。
 今回の米子展を見に来た人の中には引き揚げ者だったという方も大勢来られ、
「この赤ちゃんが自分かも…」「母がいる」「姉が…」と、絵の中に自分や家族の姿を捜す
人々がいました。
「この後、 船の中で母がなくなりました」と語る男性の話に涙があふれました。
      



 王画伯はなぜこの様な日本人を描こうと思ったのか    
 憔悴しきった日本人の姿を、当時見ていたのが王希奇さんの祖父でした。
おじいさんは「戦争はいつも弱い者が犠牲になる。戦争をしてはいけない」と平和の尊さを
王さんに話していたそうです。
 あるとき、白い骨箱を首にさげている少年(本当はソ連兵から逃れるために男のような頭
にした少女だったとか)の写真を見たことが1946年の引き揚げの歴史を調べるきっかけ
となりました。
 中国では、日本軍の残虐な行為については語り継がれているが、こうした満洲移民の悲惨
な状況についてはあまり知られていないと言います。
 「これを描くのは自分の義務だと思った」王希奇さんの平和を願う心が、3年半を経て
あの巨大な絵画となりました。

 米子に 『一九四六』 旋風が !
 人口15万弱の米子の町で、5日間で1300人もの来場者があったことは正に奇跡と
言うべきかもしれません。
 この大成功の要因は何だったのでしょう
 何と言っても絵画が素晴らしかったこと!
 巨大なキャンバスに描かれた日本人難民の姿に大勢の人々か涙し、命の尊さ平和の
大切さをひしひしと感じました。
「この絵を描いてくれたのが中国人だったなんて!」と、国を越えるヒューマニズム
に感動が広がりました。
 幅広い団体・個人に呼びかけて実行委員会で取り組んだこと
 共同代表のお二人(米子市文化事業団理事長と弁護士で日中友好協会米子支部長)は、
知名度も高く、自治体やマスコミへのアプローチ、この絵画を保管する城西国際大学
との連絡など、重要な役割を果たしていただきました。
 また、米子市文化協議会副会長で工芸家・展示の専門家が実行委員会の副代表に
なっていただいたこと、そして印刷会社のプロの方が実行委員だったことも心強い
限りでした。
 もう一人の副代表は現役の教師で、幅広い人脈でパンフレットに載せる広告を集め、
毎回の会議の進行係をつとめてくださいました。

      
 太極拳や中国語の仲間たちの活躍、 日常活動の大切さ
 前売券の販売活動では、太極拳14教室、中国語2教室の仲問たちが大きな力を発揮して
くれました。
 「3枚入り袋」「5枚入り袋」をほとんどの受講生が引き受けて、チケットの普及に力を
貸してくれました。指導員の中には、30枚、37枚、43枚とたくさん販売してくれた人
もいて、本当に仲間の力はすごい!
 やはり日ごろの活動、繋がりが大切だと感じました。
 マスコミの影響力
 記者会見、オープニングセレモニーのアピール、新聞への投稿と、今回重視したのはマス
コミへのアプローチでした。
 「台所で家事をしながらラジオを聞いていたら、この催しのことを報道していて大急ぎで
やって来た」と、お隣りの岡山県から来た方もいました。
 テレビ、ラジオ、新聞での報道が大きな力を発揮することを改めて実感しました。
 他県からの援助もうれしかった
 この催しを取り組むに当たっては、先輩開催地の宮城、東京、高知から貴重なアドバイス
や励ましの言葉、資料も送っていただきました。
 また、県外の方々からカンパも頂戴しました。
 開催初日には「王希奇・秋菊ご夫妻歓迎夕食会」に京都、宮城、東京、愛知、広島のみな
さんもご参加いただき25名で楽しく過ごすことができました。
 岡山県からはバスツアーで3 2名のみなさんが参加してくださいました。
 今後、ほかの県が「一九四六展」を開催するときは、米子からも最大限の援助をしたいと
思います。  

   ご協力戴いたすべてのみなさまへ ありがとうございました!
  王希奇さんの願う戦争の無い世界へ みんなで努力しましょう!
   「一九四六」絵画展が日本中で開催できますように!